こがナビ 古河市観光協会

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文学の散歩道コース

※歩いて行ける3時間コースです。

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古河駅西口 からスタート

JR古河駅改札口を出てすぐ右手に観光案内所があるので立ち寄ってみましょう。
各種パンフレットが用意されており、観光ガイドが午前10時から
(土・日・祝祭日は午前9時から)午後3時まで詰めているので、いろいろ情報が入手できます。

02

肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)

西口から停車場通りを直進すると、日光街道に突き当たります。
日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、そこは直進し次の信号を右に入ると肴町になります。
肴町は城下町の風情を残し、かつて酒類の販売をしていた坂長の奈良漬は評判で、和田芳恵も「坂長の奈良漬をいただいていると、生きていてよかったなあと思うから、ふしぎである」と絶賛しています。残念ながら今は手に入りません。

03

古河文学館

古河文学館は、平成10年10月、茨城県内初の文学館として開館しました。
歴史小説の第一人者、永井路子をはじめ古河ゆかりの作家とその作品を中心に、数々の貴重な資料を展示しています。

古河ゆかりの作家として常設展では、小林久三、佐江衆一、粒来哲蔵、粕谷栄市、沖ななも、山本十四尾、逸見猶吉、和田芳恵、若杉鳥子、児童文学コーナーでは鷹見久太郎、金田卓也、一色悦子等の作品等、関連資料を展示しています。

04

鷹見泉石記念館

文学館を出て、堀に沿って進むと泉石が晩年をおくった住まいである鷹見泉石記念館があります。
ここは泉石の曾孫にあたる鷹見久太郎の生家でもあります。
久太郎は絵雑誌「コドモノクニ」の出版元である東京社の創業者であると同時に青年時代は思水と号し、詩歌の創作などもしていたといわれています。

05

古河第一小学校

泉石記念館から文学館の方にもどり北に進むと第一小学校があります。
ここは永井路子の母校であり、粒来哲蔵は昭和27~28年に教鞭をとっていました。

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宗願寺

 第一小学校の敷地の切れたところを左折すると、200メートルほどで、浄土真宗の名刹宗願寺があります。
和田芳恵の墓があり、「静、寂」と刻まれた墓碑があります。
寂は芳恵、静は奥様のものです。読売文学賞受賞作の「接木の台」や自伝抄をこの寺で執筆しています。また樋口一葉の研究者でもあります。
直木賞、日本文学大賞、川端康成文学賞、日本芸術院賞受賞等多数の受賞作品があります。

07

河口信任旧居跡

宗願寺を出て右に向かうとすぐ信号機がありますが、そこを直進すると200メートルほどで獅子が崎の土塁からの道との十字路になります。
右に折れ、民家に沿って道なりに左にまわると道が広くなります。
右に進むとすぐ「古河城追手門跡」の表示があるのでやや斜めにそこを左に入ります。
直進するとほどなく河口信任旧居跡の表示があります。
今は、マンションが建っていますが、信任は、古河藩の藩医であり、ここは小林久三の「むくろ草紙」の舞台となった場所でもあります。

08

頼政神社

「旧古河城の北側の土塁の上に建つ」小高い茂みに頼政神社があります。
頼政は平家追討の兵を挙げるも宇治で自刃、この地に首を祀ったという頼政伝説があります。
頼政は歌人としても有名で「源三位頼政歌集」があります。

09

片町通り

頼政神社の階段をおり、左へ進むと片町通りに出ます。
乙川優三郎著「冬の標」に奥原晴湖がモデルと思われる画家志望の藩士の娘が登場しますが、その一節に「追手先の白壁町にある屋敷から、外堀に沿って西へゆくとじきに家並みは途切れてしまい」とあります。
少女が画塾に通うようすが描かれていますが、むすめ時代の晴湖もこの辺りを歩いたのでしょうか。

下記Googleマップは画像の撮影ポイント   

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渡良瀬遊水地遠望

広大な自然が広がる渡良瀬遊水地では、富士、浅間、赤城、白根、男体、大真名子、女峰などの山々が一望でき時には榛名、妙義も見られる絶景ポイントです
三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。
古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つです。古河城芳流閣上の決闘は、前半部のクライマックスとして有名だが、古河城の櫓をモデルにしたのではないかといわれています。

眼前に広がる本州最大といわれる約33k㎡の渡良瀬遊水地は、日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件によって出現しました。
数々の文学作品の舞台ともなっています。
江戸川乱歩賞受賞作、小林久三「暗黒告知」、伊藤野枝「転機」、荒畑寒村「谷中村滅亡史」、永井路子「わが町わが旅」などです。
また堤防上には、足尾鉱毒事件に生涯を捧げた「田中正造遺徳之賛碑」があり、明治天皇への直訴状が刻まれています。

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万葉歌碑

雀神社の境内を上がった堤防上にあります。昭和60年3月14日除幕、生井子華揮毫によります。

「麻久良我の許我の渡りのからかじの音高しもな寝なへ児ゆえに」

万葉集巻14、二首あるうちの一首ですが、古河の地名がはじめて文学の上にあらわされたとされています。

雀神社境内から参宮道路を通り、斎藤皮膚科医院前を右折し、突き当りを左折する。直進し、ホテル山水前を通り、日光街道古河宿道標がある交差点を右折し、次の信号を左折すると古河駅に着きます。