第 164 回 古河提灯もみまつり
令和 6 年( 2024 年 )
12 月 7 日(土)開催決定!!!
去年より販売を開始した
特別観覧席
今年も販売決定!
コタツに入りながら提灯竿もみまつりという奇祭のライブ感を肌で感じ、古河の地酒と料理が楽しめるという、
日常では味わえない特別な限定観覧席です。
関東の奇祭
古河提灯竿もみまつり
市内各団体が、20メートル近い竹竿の先につけた提灯を激しく揉み合いながら、相手の提灯の火を消し合う祭りで「関東の奇祭」と言われております。
この祭りは、江戸時代古河藩領(現・栃木県野木町)であった野木神社の神官が、ご神体の神鉾を奉じて馬に乗り、神社の神領である七ヶ村の末社をめぐり「七郷めぐり」を終え、12月3日末明に帰社するのを、提灯を持って出迎えた人達が、寒さをしのぐために身体を揉み合ったのが始まりで、その名も「お帰り」と言われました。
日光街道の花柳界横山町が会場で、この沿道には、近郷近在から人々が参集し大勢の参拝者で賑わいました。
当時参加した若者達は、「今夜べぇだ、今夜べぇだ」という掛け声を叫びました。楽しみ羽目をはずしていいのも、今夜だけという意味です。
現在の会場では、高さ約10メートルの矢来を設置し、各団体がぶつかり合いながら竹竿を激しく揉み合うさまは、誠に勇壮です。
ぜひご来場の上、ご観覧ください。
提灯竿もみまつり紹介動画
提灯竿もみまつりの起源は、江戸時代は古河藩領であった、栃木県野木町の野木神社に伝えられる神事「七郷(しちごう)めぐり」に付随した行事に由来しているとされていますが、明治初期の廃藩置県で、栃木県と茨城県とに分離されたため、古河市の提灯竿もみまつりとして発展してきました。
≪野木神社≫
この地方で最も古い由緒ある神社の一つで、藩政期には古河藩の領内にあって藩の鎮守・祈願所として歴代の藩主からの崇敬も厚く、一般に「神明様」として親しまれてきました。
仁徳天皇の時代に、磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)崇神天皇の第一皇子豊城入彦命四世の君(とよきいりびこのみこと)が下野国に国造(くにのみやつこ)今の県知事として赴任してきました。磯城奈良別君(しきならわけのぎみ)は、京都府下にある莵道稚郎子尊(うじのわかいらっこのみこと)の墓からその霊をお祀りし、後に現在の野木神社に移しました。
平安最末期に常陸の国にいた源頼朝の叔父 源義広が、源頼朝に対抗して挙兵した時、下野国小山朝政は野木宮を深く信敬し、当宮に引篭もり、戦略計画を立て、義広軍を追討勝利し余党をも多数討ち取りました。源頼朝は、「鎌倉幕府開幕は、野木神社のご加護があったお陰」と、七つの村(七郷)を野木神社の神領として定め、野木神社の末社が七つの村に誕生したのです
現在の小山市に編入されている七つの地区にある野木神社の末社を、神体の神鉾を奉じた一行が順次訪ねる神事です。11月27日に神主さんたちが馬を煌びやかに飾って、野木神社の七つの末社を1日1社ずつめぐり、7日後の12月3日に帰ってきます。七つの末社をめぐるので、「七郷(しちごう)めぐり」と呼ばれていました。当時から出発日を“おいで”、帰って来る日を“おかえり”と呼び、村の人(野木の人)が竹竿に提灯をつけてお供として一緒に回りました。12月3日の深夜から4日にかけて、古河に向かう日光街道で、七郷(しちごう)めぐりを終えた一行の御帰社(おかえり)を、提灯を手にした大勢の参拝客が出迎えます。
– – 準備中 – –
– – 準備中 – –
【予選Aブロック】
商工会 青年部・八幡町・雷電一・三子連
【予選Bブロック】
古河市互助会・七軒町・商工会議所 青年部・古河鳶一番組
【予選Cブロック】
全原・下三・青年会議所
16:00 子どもパレード出発
16:40 開会式
17:10 ~ 17:20 子ども部門(1部)
17:30 ~ 17:40 子ども部門(2部)
17:50 ~ 19:55 大人部門(競技もみ)
20:05 ~ 20:25 大人部門(自由もみ)
20:30 閉会式
– – 準備中 – –
東北自動車道
■久 喜 ICより 約30分
■館 林 ICより 約30分
圏央道
■境古河 ICより 約35分
【ご注意】
当日会場付近の道路は交通規制のため通行止めになりますので
お車でお越しの場合はご注意ください。
●古河提灯竿もみまつりに関するお問い合せ
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土・日・祝日および年末年始を除く、平日(10:00~16:00)に対応させて頂いております。
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一般社団法人 古河市観光協会 0280-23-1266