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義経の愛妾  静御前

関連施設・史跡
●光了寺 寺宝として静の遺品
寺宝をご覧になるには予約が必要です。
■駅から
約4.8Km 徒歩1時間11分
■所在地
大字中田1334
TEL0280-48-1850

「静御前終焉の地を行く」

源義経についての記録は多いが、愛妾“静”についての史料は甚だ乏しいのです。義経を慕って鎌倉を出て、奥州へ向かうまでの記録は見られますが、その先は全く不明です。しかし、伝承としては、古河近辺が終焉(しゅうえん)の地とされています。奥州へと出立した静が、病いを得て遂に目的を果たせず死に至った地が古河周辺と伝えられています。
古河市内旧日光街道中田宿にある光了寺(こうりょうじ)に、宝物(ほうもつ)として静女の守本尊、蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣(まいごろも)、義経形見(かたみ)の懐剣(かいけん)、鐙(あぶみ)など貴重な遺品数点が蔵されています。
光了寺は元は久喜市(旧栗橋町)にあり、静を葬ったので、その遺品が寺宝として保存されています。その一つが「蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣」。後鳥羽院の寿永2年に大変な日照りに見舞われ、高僧を招き雨乞いをしても雨が降らないので百人の舞姫を集め次々に雨乞いの舞を舞わせ百人目の静が踊ろうとした時、天皇が静に御衣を与え、その御衣で舞ったところ、たちまち大雨が降ったという。この衣が「蛙蟆龍の舞衣」で、今も光了寺に保存されています。
隣町の駅前(JR宇都宮線栗橋駅)に静の墓があり、古河市内下辺見(しもへみ)には、義経の死を耳にし、橋の上で奥州行きを思案したと言われる思案橋、古河市水海(みずうみ)には、静結びの柳、静の椿などの遺跡があります。


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