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雪の殿様  土井利位

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正定寺で管理されている肖像画

関連施設・史跡
正定寺 土井家歴代の墓所
■駅から
約0.9Km 徒歩11分
■所在地
大手町7-1
TEL0280-22-1273
歴史博物館 雪花図説
■駅から
約1.2Km 徒歩15分
■所在地
中央町3-10-56
TEL0280-22-561

土井利位は20年にわたり観察した雪の結晶を「雪華」と名付け、天保3年(1832)その成果86種を収録する『雪華図説』を刊行しました。同11年に刊行される『続雪華図説』と合わせ、利位によって著された日本最初の雪の自然科学書として高い評価を得ています。
 寛政元年(1789)5月、土井利徳の四男として、刈谷(現愛知県刈谷市)に誕生しました。
刈谷の土井家は、始祖利勝の次男利長にはじまる分家で、刈谷時代の利位を知る手がかりは、「部屋住」の身ゆえか、ほとんど伝わっていません。
 嫡子でなかった利位に大きな転機が訪れたのは、彼の25歳のときでした。本家にあたる古河藩主土井利厚の養子に迎えられ、このときはじめて、学問・芸術にたいする彼の資質を開花させる機会がおとずれたといえるでしょう。
 文政5年(1822)、34歳のとき、利位は、養父の死去にともない家督、古河藩8万石を襲封。以後、彼は、天保5年(1834)から同8年まで「大坂城代」を、同年「京都所司代」、翌年には「江戸城西之丸老中」と、幕府の要職を歴任しています。
 天保10年(1939)本丸老中に昇進、水野忠邦を助けて天保改革に尽力。同14年、改革の失敗から失脚した水野忠邦のあとをうけて老中首座となり、幕府財政の再建につとめました。翌年、老中を辞任した利位は、藩領を巡村、古河藩政改革をおこないました。嘉永元年(1848)、60歳で病没。

▼正定寺 土井家歴代の墓所 【大手町7-1】

▼歴史博物館【中央町3-10-56】


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