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陽明学者  熊沢蕃山

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熊沢蕃山の肖像

関連施設・史跡
●鮭延寺
■駅から
約3Km 徒歩40分
■所在地
大堤1037
TEL0280−32−6905

戦国の世が去って、平和の到来と共に、幕府は力をもってする武断主義をやめ、文教を興し、法律制度によって社会秩序を保とうとする文治主義をとるようになりました。その時、幕府・諸藩が最も力を入れたのは儒学でした。幕府は、儒学者を庇護し、学問を奨励しましたが、幕府が奨励したのは朱子学で、もう一方の陽明学は、幕府の政策とは相容れず、これを唱えていた熊沢蕃山は、見識高き政治家であり、経済学者であり、更に文学者、大教育家にも拘らず、幕府の忌畏に触れ、禁固を命ぜられ、明石の松平信之候に保護されました。その後信之が老中となり、古河城に移った時に蕃山も古河に移り、子の忠之が引継ぎ、その死を見とるや、儒礼をもって丁重に鮭延寺に葬ったと言われています。
 蕃山が古河に執居の間、蕃山の知識が洪水や農業に生かされ、数々の貢献を残しています。


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