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公方様の森周辺

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公方様の森

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鎌倉公方足利利成氏(あしかがしげうじ)は、1445年古河に移り、この台地に館を構えました。以降、「古河公方」と呼ばれ、五代にわたり約130年間、北関東に一大勢力を誇りました。古河公方館趾の石碑の東西には、当時の堀と土塁が、跡をとどめています。
周囲を沼に囲まれたイヌシデやコナラを主体とした雑木林には、水面に反射した光が、明るく差し込みます。早春にはアカゲラの木をつつく音がこだまし、夏には緑陰を楽しむ人が訪れ、紅葉の頃にはサクサクと落ち葉をふみしめる音が小気味よく響きます。

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旧中山家(県指定文化財)

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この民家は、もと中山太郎氏(茨城県岩井市)の所有であったが氏の寄贈により当地に移築したものです。
 中山家は、武士の出身で、江戸時代初期、辺田村に帰農したといわれ、代々辺田村の組頭などを勤めた旧家です。
 この住宅は、猿島地方に多く見られる直屋といわれる型で桁行17.3m、梁間10.55mという大型農家に属しています。
 住宅の建築年代については確証を欠きますが、解体修理中に発見された床板裏面の墨書に『延宝二歳寅二日・・・』とあったことから、延宝二年(1674)に建てられた可能性が強いそうです。
 幾度かの改造及び補修を経てきていますが、幸い軸部は当初の状態で残存し、保存状態も良好で猿島地方の大型農家の典型として、昭和48年茨城県の指定を受けました。

旧飛田家(国指定文化財)

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この民家は、もと飛田徳有氏(茨城県久慈金砂郷村)の所有でしたが、事情により当地に移築したものです。
 飛田家の由緒については詳らかでなく、初代夫婦のものと思われる位牌に延享元年(1744)及び寛延元年(1748)の没年が記されており、この住宅の建立年代は、構造手法等などから考えあわせると、18世紀前半と推測されます。
 この住宅はいわゆる常陸地方によく見られる曲がり屋であり、別棟形式の民家との関連を知るために貴重な住宅です。
 幾多の改造及び補修を経てきていますが、構造、平面等にはそれほどの変化もなく、よく旧状態を残していることと、現在茨城県下で知られる曲がり屋形式の農家の中で最も古いものとして、昭和43年国の指定を受けました。

古河公方館跡(県指定文化財)

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この地は、古河公方足利成氏以来、古河城の別館のあった跡で、「鴻巣御所」ともよばれ、旧御所沼に突き出た半島の中央部に当たります。
 成氏が、鎌倉から古河に移ったのは、康正元年(1455)でありますが、2年後の長禄元年(1457)修築の成った古河城へ入りました。それ以来、成氏、政氏(まさうじ)、高基(たかもと)、晴氏(はるうじ)、義氏(よしうじ)に至る五代120余年の間「古河公方」の居城として、古河城は東国一円に重要な位置を占めていました。
 大正初期に、古河城跡が渡良瀬川改修工事のため、大部分が河川敷となってしまいました。いま、残存するこの「鴻巣御所跡」は、往時をしのぶ史跡として意義深いものがあります。
 この館跡碑の西と東には、当時の堀と土塁の跡をとどめています。




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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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