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杉並通り(旧武家屋敷)

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旧武家屋敷

■駅から
約0.8Km 徒歩10分
■所在地
横山町1丁目7



篆刻美術館を出て、ちょっと西に行き、狭い道を北に歩いて行くと、江戸時代が偲ばれる風格ある旧武家屋敷の土塀の続く通りに出ます。


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日光道中古河宿道標

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日光道中古河宿道標

■駅から
約0.6Km 徒歩8分
■所在地
中央町1丁目10

旧武家屋敷から通りを東に歩いて行くと、左に旧よこまち柳通り(花街のあった所)があり、右側に文久元年建立の「日光道中道標」が立っています。常夜灯形式の道標として貴重なものです。


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歴史探訪

東国一円の重要拠点だった古河
古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。足利氏とのつながりも深く、中世東国社会の政治文化において重要な位置を占めてきた古河公方の拠点として知られています。

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徳源院跡 臨済宗で鎌倉円覚寺の末寺で古河公方が開其した三ヶ院のひとつ

古河公方と称した足利成氏
古河公方の起こりは、1338年京都に幕府を開いた将軍足利尊氏が関東地方を治めるために子の基氏を鎌倉府の長官である鎌倉公方として派遣しましたが、その後、鎌倉公方4代持氏が京都の将軍家と対立、1439年6代将軍義教と一戦を交え、その結果、鎌倉公方は破れ、持氏は自害させられました。その後、生き残った持氏の子成氏が許されて鎌倉公方に就任しましたが、再び幕府に反旗を翻し、1445年鎌倉から古河の地に座を移したことによります。
 爾来120年余りにわたって古河公方と称し、東国一円の重要な位置を占めてきましたが、現在も公方ゆかりの寺院や史跡が残っており、特に古河公方足利氏の古河城の別館であった「公方館跡」や古河公方開基の「徳源院跡」一帯は、「古河公方公園(古河総合公園)」として、自然や史跡探訪の地となっており、市民に親しまれています。


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万葉歌碑

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万葉歌碑

■駅から
西口駅前
■所在地
本町1丁目

駅西口を出ると、歩道右側に大きな自然石が、ドッシリと据えられています。「万葉の歌碑」です。万葉集巻十四、東歌の中にあるこの地を詠んだ歌二首の一つです。古河の里が、古くから川ぞいを中心に開けた抒情豊かな文化の地であることを示しています。書の軍毫は書家故大久保翠洞氏によります。因みに、もう一首の歌碑は、雀神社わきの渡良瀬提の上に建っており、その書の軍毫は篆刻家故生井子華氏によるものです。


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本陣跡

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■駅から
約0.3Km 徒歩4分
■所在地
中央町1丁目2-37付近

駅前通りを西に歩いて行くと、旧日光街道に突き当たります。常陽銀行を右に見て、正面に商店街ジョイパティオがあり左角に足利銀行があります。ジョイパティオの入口に赤い電話ボックスがあり、その陰にひっそりと「本陣跡」の石碑が立っています。ここに、昔諸大名が参勤交代や日光参詣等の途中、古河に泊まる時に宿とした建物があった所です。この辺りは、日光街道より古河城への入り口の地点で、城下町古河の重要な辻であり、旅人の往来のはげしい一番賑わった所でした。


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高札場跡

■駅から
約0.3Km 徒歩4分
■所在地
本町2丁目5-30付近

街道を狹んで、足利銀行の前に若野屋呉服店というお店があり、その脇に「史跡高札場跡」の石碑が立っています。江戸時代、藩や幕府のおふれ書「高札」を立てた場所です。庶民が集まって高札を見ている往時の状景が目に浮ぶようです。


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古河城お茶屋口跡

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■駅から
約0.8Km 徒歩10分
■所在地
中央町3丁目6-1

将軍の日光参詣の宿泊・休憩は、岩槻・古河・宇都宮の三城を原則としていました。古河城お茶屋口は、古河藩主土井利勝が三代将軍家光の参詣の際もてなすための茶屋を置いたことにはじまるといわれています。参勤交代や日光参詣で通行する格式の高い大名もここで迎え、相手も挨拶をしていくきまりでした。相手がそれ以下の場合は肴町の御馳走番所で挨拶を受けたのです。


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古河藩使者取次所(御馳走番所跡)

■駅から
約0.6Km 徒歩8分
■所在地
中央町3丁目1-43

「高札場跡」より、200m程南に行くと信号があり、西へ入る道があります。この道は「肴町通り」といい、お城に通じていました。道沿いの米銀商店の片隅に、古河藩使者取次所(御馳走番所跡)の石碑が立っています。参勤交代や日光参詣で通行する大名が、古河城主に敬意を表すための挨拶役の使者を接待し、ご馳走をふるまう番所があったところです。


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古河城文書蔵

■駅から
約0.6Km 徒歩8分
■所在地
中央町3丁目1-39

米銀商店から一軒おいて隣に坂長商店という蔵造りの酒屋があります。この建物は、もと古河城の文書蔵を移築したものです。

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鷹見泉石生誕の地碑

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鷹見泉石生誕の地碑

■駅から
約0.9Km 徒歩12分
■所在地
古河第一小学校北側


家老として、藩主土井利位(としつら)に仕えた古河藩士、鷹見泉石が誕生した場所です。
泉石は、古河藩主土井利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮圧にあたるなど、大きな働きをしました。また、優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集にあたりました。


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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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