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テレビ東京「鎌倉街道(中道)歩きの旅」

【撮影月】 平成24年10月

【撮影場所】古河公方公園(古河総合公園)
【放映日時】平成24年10月27日(土)放映


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自主制作映画「仁光の受難」

【撮影月】 平成24年10月
【撮影場所】古河公方公園(古河総合公園)古民家


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上杉香緒理「越後母慕情PV」

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【撮影月】 平成24年5月
【撮影場所】古河公方公園(古河総合公園)古民家
【発売日時】平成24年6月20日(水)発売


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古河桃まつり

 昭和51年(1976年)より開催されている「桃まつり」は、古河を代表するまつりのひとつです。
 古河公方公園(古河総合公園)に5品種約1500本の花桃が美しく咲きそろうなか、野点茶店、ステージイベント、郷土物産品の即売会、桃むすめによる場内案内などが催され、期間中、市内のみならず県内外から多くの人出でにぎわいます。

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▶︎古河桃まつりの公式ページはこちら

桃まつり詳しくはこちら



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古河公方公園(古河総合公園)

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■駅から 徒歩40分
■所在地
 古河市鴻巣399-1
 TEL:0280-47-1129
■料金 無料
■ホームページ
公式サイトはこちらをご覧ください。

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古河はどこにあるの?

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古河市は、関東地方のほぼ中央、茨城県の最西端にある、渡良瀬川に囲まれた水と緑の豊かな自然と、歴史と伝統の町です。東京へは、約60kmの近距離にあり。・市内をJR宇都宮線(東北本線)、国道四号線が縦貫、近くを東武日光線、東北自動車道が通るという利便性をもっています。


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桃の里古河(古河公方公園(古河総合公園))

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春には、日本で初のユネスコ メリナ・メルクーリ国際賞を受賞した、古河公方公園(古河総合公園)で、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう、見事な情景が広がり、野点茶店、野外音楽会、領土物産品の即売会、桃むすめによる会場案内や撮影会などが催され、期間中市内のみならず県内外から多くの人出でにぎわっています。


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歴史探訪

東国一円の重要拠点だった古河
古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。足利氏とのつながりも深く、中世東国社会の政治文化において重要な位置を占めてきた古河公方の拠点として知られています。

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徳源院跡 臨済宗で鎌倉円覚寺の末寺で古河公方が開其した三ヶ院のひとつ

古河公方と称した足利成氏
古河公方の起こりは、1338年京都に幕府を開いた将軍足利尊氏が関東地方を治めるために子の基氏を鎌倉府の長官である鎌倉公方として派遣しましたが、その後、鎌倉公方4代持氏が京都の将軍家と対立、1439年6代将軍義教と一戦を交え、その結果、鎌倉公方は破れ、持氏は自害させられました。その後、生き残った持氏の子成氏が許されて鎌倉公方に就任しましたが、再び幕府に反旗を翻し、1445年鎌倉から古河の地に座を移したことによります。
 爾来120年余りにわたって古河公方と称し、東国一円の重要な位置を占めてきましたが、現在も公方ゆかりの寺院や史跡が残っており、特に古河公方足利氏の古河城の別館であった「公方館跡」や古河公方開基の「徳源院跡」一帯は、「古河公方公園(古河総合公園)」として、自然や史跡探訪の地となっており、市民に親しまれています。


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桃花ゾーン

1500本が咲き誇る桃林

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桃林と古河城主、土井利勝
 江戸時代初期、古河城主土井利勝(どいとしかつ)が、江戸で家臣の子供たちに桃の種を拾い集めさせ、古河に送って、農民に育てさせたのが始まり。それは、領民があまりに貧しかったので、生長が早い桃の実を食用に、剪定(せんてい)した技を薪に、花を暮らしの潤いにさせるためでした。
 明治時代には、花見シーズンに臨時列車が運行されるほど賑わいました。古河公方公園(古河総合公園)の開園を機に、花桃(花を観賞するための桃)を植えて桃林を復活させたのです。

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それぞれの花桃を楽しむ
 現在では、総合公園内での一番の見どころです。矢口、源平、菊桃、寿星桃など1,500本の桃の花が咲き誇り、まさに桃源郷を思わせます。
 公園内の花桃の大半は矢口です。その中に黒川矢口が咲いています。北西のほうには源平、北のほうには菊桃と寒白、東のほうでは寿星桃を楽しむことができます。

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徳源院跡(県指定文化財)

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ここは寺院跡で、もと「興王山徳源院(こうおうざんとくげんいん)」という鎌倉円覚寺末(かまくらえんがくじまつ)の臨済禅寺(りんざいぜんじ)のあった所です。現在は、この墓地のみが残っています。
 『古河志(こがし)』によると、古河公方五代の足利義氏(天正10年3月26日没)の開墓で、香雲院(こううんいん)といいましたが、元和6年(1620)5月6日義氏の一人娘「氏女(うじひめ)」の卒去により、その法号である「徳源院」と改められたといいます。
 義氏の墓と、天寿院(てんじゅいん)と刻した宝篋印搭(ほうきょういんとう)の喜連川河内守義親(きつれがわかわうちのかみよしちか)(氏女の子・寛永4年7月3日没)の墓と、七地蔵を刻んだ石幢と数基の墓石を残しています。
 長谷(はせ)の永仙院(ようぜんいん)、牧野地(まきのじ)の松月院(しょうげついん)と共に、古河公方方開基の三ヶ寺の一つで往時をしのぶ史跡です。

その他のスポット
●元屋敷の四阿・・・四阿(あずまや)です。
●ラン搭四阿・・・・四阿(あずまや)です。
●フジ棚・・・・・・このゾーンにフジ棚が3箇所あります。
●中山台・・・・・・秋にはコスモスが楽しめます。


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大賀蓮

大賀蓮 見頃7月中旬〜8月中旬

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昭和26年(1951)に大賀一郎博士が、古蓮の実を発掘し発芽させたもので、周辺の土質などから約2,000年前のものと推定されています。大賀博士の名にちなみ「大賀蓮」と名づけられました。
 総合公園北端のハス田に見事に開花した鮮やかなピンク色の花が、訪れる人達の目を楽しませます。

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富士見塚周辺

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富士見塚

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総合公園ランドマークの富士見塚は、浅間山や赤城山など関東平野をふちどる名峰を眺められるように、御所沼を復元したときの残土を積み上げて作られました。
 芝すべりの場所として、また、近くには遊具広場もあり、子どもたちに大人気のスポットです。


レストランジェラテリア

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南北に面したガラス窓をスライドさせると、オープンカフェになり、建物と周囲の景色が溶け込むようにデザインされています。
南側の雪華園は、人と自然の無限のからみあいから生成される様子を伝えます。

その他のスポット
●遊具広場・・・・・アスレチックやブランコ、滑り台などの遊具があります。
●遊具広場の池で夏は水遊びができます。
●クジャク小屋・・・クジャクなどが飼育されています。
●雪華園・・・・・・レストハウスジェラテリア前の広場です。バーベキューができます。
(レストハウスで申し込み。)
●松月庵・・・・・・四阿(あずまや)です。


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管理棟・駐車場

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インフォメーション

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●場所
〒306-0041
古河市鴻巣399-1

●入園料 無料

●問い合わせ先
公園管理事務所
TEL0280-47-1129

駐車場

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●大型車(バス)駐車可能
●身障者用駐車スペース有り
桃まつり開催時期は有料となります。

アクセス

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●JR古河駅から約2.6km
●東武新古河駅から約3.5km
●東北自動車道 久喜ICより約30分
●東北自動車道 館林ICより約20分
●国道4号→国道354号→鴻巣交差点(市道横山大山線)


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公方様の森周辺

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公方様の森

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鎌倉公方足利利成氏(あしかがしげうじ)は、1445年古河に移り、この台地に館を構えました。以降、「古河公方」と呼ばれ、五代にわたり約130年間、北関東に一大勢力を誇りました。古河公方館趾の石碑の東西には、当時の堀と土塁が、跡をとどめています。
周囲を沼に囲まれたイヌシデやコナラを主体とした雑木林には、水面に反射した光が、明るく差し込みます。早春にはアカゲラの木をつつく音がこだまし、夏には緑陰を楽しむ人が訪れ、紅葉の頃にはサクサクと落ち葉をふみしめる音が小気味よく響きます。

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旧中山家(県指定文化財)

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この民家は、もと中山太郎氏(茨城県岩井市)の所有であったが氏の寄贈により当地に移築したものです。
 中山家は、武士の出身で、江戸時代初期、辺田村に帰農したといわれ、代々辺田村の組頭などを勤めた旧家です。
 この住宅は、猿島地方に多く見られる直屋といわれる型で桁行17.3m、梁間10.55mという大型農家に属しています。
 住宅の建築年代については確証を欠きますが、解体修理中に発見された床板裏面の墨書に『延宝二歳寅二日・・・』とあったことから、延宝二年(1674)に建てられた可能性が強いそうです。
 幾度かの改造及び補修を経てきていますが、幸い軸部は当初の状態で残存し、保存状態も良好で猿島地方の大型農家の典型として、昭和48年茨城県の指定を受けました。

旧飛田家(国指定文化財)

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この民家は、もと飛田徳有氏(茨城県久慈金砂郷村)の所有でしたが、事情により当地に移築したものです。
 飛田家の由緒については詳らかでなく、初代夫婦のものと思われる位牌に延享元年(1744)及び寛延元年(1748)の没年が記されており、この住宅の建立年代は、構造手法等などから考えあわせると、18世紀前半と推測されます。
 この住宅はいわゆる常陸地方によく見られる曲がり屋であり、別棟形式の民家との関連を知るために貴重な住宅です。
 幾多の改造及び補修を経てきていますが、構造、平面等にはそれほどの変化もなく、よく旧状態を残していることと、現在茨城県下で知られる曲がり屋形式の農家の中で最も古いものとして、昭和43年国の指定を受けました。

古河公方館跡(県指定文化財)

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この地は、古河公方足利成氏以来、古河城の別館のあった跡で、「鴻巣御所」ともよばれ、旧御所沼に突き出た半島の中央部に当たります。
 成氏が、鎌倉から古河に移ったのは、康正元年(1455)でありますが、2年後の長禄元年(1457)修築の成った古河城へ入りました。それ以来、成氏、政氏(まさうじ)、高基(たかもと)、晴氏(はるうじ)、義氏(よしうじ)に至る五代120余年の間「古河公方」の居城として、古河城は東国一円に重要な位置を占めていました。
 大正初期に、古河城跡が渡良瀬川改修工事のため、大部分が河川敷となってしまいました。いま、残存するこの「鴻巣御所跡」は、往時をしのぶ史跡として意義深いものがあります。
 この館跡碑の西と東には、当時の堀と土塁の跡をとどめています。




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御所沼

復元された御所沼

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利根川と渡良瀬川の合流するあたりには、かつてたくさんの沼がありました。そのひとつが御所沼です。この名前は、沼の畔に古河公方が館をかまえたことに由来します。

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戦前、沼で採れたジュンサイは、東京の料亭に出荷されました。昭和25年に水田へと埋め立てられましたが、沼の復元で、土の中のジュンサイの種が目覚めて復活しました。5〜8月にかけて紅色の小さな花を咲かせます。カイツブリやカワセミが飛来し、手づくりイカダや灯籠流しの企画に市民が集まります。また水面に映る夕焼けは絶景です。

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天神橋
かつて公方様の森にあった小さな天神の祠をしのんで、名付けられました。
公方様の森側のコンクリートで支えらた桁橋、広場側のケーブルで吊られた斜張橋、
両方に乗りかかったシルバーの中央部分と、三つの構造を使って作られています。


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園内のご案内

地図上をクリックするとゾーンに分かれた
部分の詳細がご覧になれます。





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古河公方  足利成氏(しげうじ)

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古河公方公園(古河総合公園)内にある古河公方館跡

関連施設・史跡
古河公方館跡
■駅から
約3Km 徒歩40分
■所在地
古河公方公園(古河総合公園)
鴻巣字中山399-1
TEL0280-47-1129


古河地方は、鎌倉時代、源頼朝の家臣、下河辺氏がこの地を支配し、幕府の北の守りとして軍事上政治上にも重要な地点として栄えてきました。やがて室町幕府の時代となり、足利尊氏(たかうじ)の子基氏(もとうじ)が関東かんれい管領(鎌倉公方(くぼう))となって、関東を支配していましたが将軍家との折り合いが悪くなり、四代持氏(もちうじ)が永享の乱で将軍義政と争い、一度敗れたが許され、その子成氏(しげうじ)が再び管領となったものの、執事上杉憲忠と対立、追われて1455年に鎌倉から古河に居城し、古河公方と称しました。結城・佐竹氏を始め関東の豪族の支持を受けたので、形勢は一変、古河は関東の政治文化の中心地となり、古河公方時代が5代128年にわたって続きました。歴代の公方達は、古河に鎌倉文化を移入しました。その規模は鎌倉には及ばなかったが、古河の文化も大いに進み、文化人も数多く集まり、中でも医聖と呼ばれた医師田代三喜や当代一の連歌師と言われた猪苗代兼栽などは、この地に文化興隆をもたらした功労者と言えます。


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足利義氏(よしうじ)とその子氏女(うじひめ)

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義氏の墓所徳源院

時代も干余曲折を経て、戦国の世に入り、関東も戦乱に明け暮れ、5代義氏の代になると、後盾となっていた北条氏も秀吉に亡ぼされ、公方の名を僅かながら、保ち得た状況となってしまいました。
 1582年、義氏が歿すると、男の嗣子がないために、一世紀を越えた古河公方時代も、5代をもって終わりを告げました。
 義氏には、女子一人が在り、これを氏女(うじひめ)と言いました。氏女は鴻巣の公方やかた館に居を置いていましたが、秀吉は、公方の名跡の絶えるのを惜しみ、小弓義明の孫國朝に氏女を娶らせ、喜連川の地五千石を給し、その再興をはからせました。國朝の病死により、秀吉の命で弟頼氏に氏女を配し、氏女は、義親を生みました。公方の血統は斯くして喜連川家に継がれていきました。今、鴻巣公方館跡の辺りは、古河公方公園(古河総合公園)として残され、昔の面影を僅かにとどめる自然公園として賑わいを見せています。

関連施設・史跡
徳源院
■駅から
約3Km 徒歩40分
■所在地
古河公方公園(古河総合公園)
鴻巣399-1
TEL0280-47-112


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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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