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正定寺と隆岩寺

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正定寺

 ここから左方向へ、次の信号機を渡ると右側に正定寺参道があります。古河は寺の多い町で、市内にざっと26ヶ寺ほどあるが正定寺は土井家の菩薩寺であり、古河を代表する寺院の一つです。

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正定寺土井家墓所

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正定寺赤門

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正定寺黒門


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隆岩寺

赤門から入り境内を一巡したら黒門から出ます。あい向かいが福寿稲荷、その隣が隆岩寺です。福寿稲荷に手を合わせたら、一旦道路に出てから隆岩寺の山門に入ります。隆岩寺も正定寺とおなじく大名開基の寺です。春には緋寒桜が美しいです。


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徳川三百年の智臣  土井利勝

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正定寺で管理されている肖像画

関連施設・史跡
正定寺 土井家歴代の墓所
■駅から
約0.9Km 徒歩11分
■所在地
大手町7-1
TEL0280-22-1273

家康が江戸幕府を開き、天下の政治をとるようになると、古河は奥州街道筋と水路の要地となり、北の守りとして重要な位置を占めるようになりました。そのため、古河藩主には有力な譜代大名が配置されました。幕末までに11家 12回の交替がありましたが、皆徳川家と深い関係のある譜代大名で、幕府の官僚に列し、大老や老中、大阪城代などの重職に就任したものが大勢います。中でも土井家は、2期12代わたり、古河城主として城下の発展に寄与し、古河の繁栄の基を築きました。
特に、利勝は、・土井の殿様、一六萬石よ・と甚句にも歌われている程、歴代城主の
中でも最高の禄高で、三階櫓などを築いて古河城を最大に拡張し、幕閣最高の大老職まで勤め、徳川三百年の確固たる基礎を築いた智臣として、歴史上の有名な人物でもあります。
市内の正定寺は、利勝開基によるもので、今は土井家の廟所になっています。


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雪の殿様  土井利位

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正定寺で管理されている肖像画

関連施設・史跡
正定寺 土井家歴代の墓所
■駅から
約0.9Km 徒歩11分
■所在地
大手町7-1
TEL0280-22-1273
歴史博物館 雪花図説
■駅から
約1.2Km 徒歩15分
■所在地
中央町3-10-56
TEL0280-22-561

土井利位は20年にわたり観察した雪の結晶を「雪華」と名付け、天保3年(1832)その成果86種を収録する『雪華図説』を刊行しました。同11年に刊行される『続雪華図説』と合わせ、利位によって著された日本最初の雪の自然科学書として高い評価を得ています。
 寛政元年(1789)5月、土井利徳の四男として、刈谷(現愛知県刈谷市)に誕生しました。
刈谷の土井家は、始祖利勝の次男利長にはじまる分家で、刈谷時代の利位を知る手がかりは、「部屋住」の身ゆえか、ほとんど伝わっていません。
 嫡子でなかった利位に大きな転機が訪れたのは、彼の25歳のときでした。本家にあたる古河藩主土井利厚の養子に迎えられ、このときはじめて、学問・芸術にたいする彼の資質を開花させる機会がおとずれたといえるでしょう。
 文政5年(1822)、34歳のとき、利位は、養父の死去にともない家督、古河藩8万石を襲封。以後、彼は、天保5年(1834)から同8年まで「大坂城代」を、同年「京都所司代」、翌年には「江戸城西之丸老中」と、幕府の要職を歴任しています。
 天保10年(1939)本丸老中に昇進、水野忠邦を助けて天保改革に尽力。同14年、改革の失敗から失脚した水野忠邦のあとをうけて老中首座となり、幕府財政の再建につとめました。翌年、老中を辞任した利位は、藩領を巡村、古河藩政改革をおこないました。嘉永元年(1848)、60歳で病没。

▼正定寺 土井家歴代の墓所 【大手町7-1】

▼歴史博物館【中央町3-10-56】


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正定寺【弁財天】

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弁財天
春日局が将軍家光から拝領したものを、古河城主だった養子の堀田正俊にゆずり、正俊が弁天堂を建て正定寺に奉納したといわれています。写真のみの展示となっています。

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正定寺と隆岩寺

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正定寺

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正定寺土井家墓所

 ここから左方向へ、次の信号機を渡ると右側に正定寺参道があります。古河は寺の多い町で、市内にざっと26ヶ寺ほどあるが正定寺は土井家の菩薩寺であり、古河を代表する寺院の一つです。

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正定寺赤門


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正定寺黒門


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隆岩寺

赤門から入り境内を一巡したら黒門から出ます。あい向かいが福寿稲荷、その隣が隆岩寺です。福寿稲荷に手を合わせたら、一旦道路に出てから隆岩寺の山門に入ります。隆岩寺も正定寺とおなじく大名開基の寺です。春には緋寒桜が美しいです。

隆岩寺について詳しくはこちら



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正定寺

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正定寺

 下宮八幡から再び参宮道路に出たら次の十字路を右折します。最初の十字路を左折すると、T字路になりますがそこは右折し、すぐ道なりに左方向に進み最初の道を右折すると右側に正定寺山門があります。
 古河藩でも最も関わりの深い土井家の菩提寺あり、3代将軍家光の側室「お楽の方」の供養塔があります。お楽の方は4代将軍家綱の生母となるが、そのときの様子が吉屋信子の「徳川の夫人たち」に描かれています。


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