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古河駅西口

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観光案内所

 JR古河駅改札口を出てすぐ左手に観光案内所があるので立ち寄ってみましょう。各種パンフレットが用意されており、観光ガイドが午前10時から(土・日・祝祭日は午前10時から)午後3時まで詰めているので、いろいろ情報が入手できます。
 改札を出たら左方向に進むと西口に出ます。国土交通省の大きな河川情報板が目に入り、その下に万葉歌碑があります。

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万葉歌碑

逢わずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ舟に君も逢わぬかも

 万葉集巻十四の相聞歌に、古河の地名と関係あると思われる歌が2首詠まれていますが、その内の1首です。あと1首は渡良瀬川堤防上にあります。
 この歌から当時の古河は、河川交通の盛んなところで、人々の往来が多く栄えていたことが読み取れます。


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渡良瀬遊水池遠望

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 広大な自然が広がる渡良瀬遊水池では、富士、浅間、赤城、白根、男体、大真名子、女峰などの山々が一望でき時には榛名、妙義も見られる絶景ポイントです
 
 三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つです。古河城芳流閣上の決闘は、前半部のクライマックスとして有名だが、古河城の櫓をモデルにしたのではないかといわれています。
 眼前に広がる本州最大といわれる約33kuの渡良瀬遊水地は、日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件によって出現しました。数々の文学作品の舞台ともなっています。江戸川乱歩賞受賞作、小林久三「暗黒告知」伊藤野枝「転機」荒畑寒村「谷中滅亡史」永井路子「わが町わが旅」などです。
 また堤防上には、足尾鉱毒事件に生涯を捧げた「田中正造遺徳之賛碑」があり、明治天皇への直訴状が刻まれています。

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肴町

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肴町

 西口から停車場通りを直進すると、日光街道に突き当たります。日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、そこは直進し次の信号を右に入ると肴町になります。肴町は城下町の風情を残し、かつて酒類の販売をしていた坂長の奈良漬は評判で、和田芳恵も「坂長の奈良漬をいただいていると、生きていてよかったなあと思うから、ふしぎである」と絶賛しています。残念ながら今は手に入りません。


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文学館へ

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文学館正面

 坂長の角の十字路を左折し、福法寺の山門を過ぎ直進すると三神町通りに突き当たります。右折するとほどなく通称、出城といわれるエリアになります。歴史博物館、鷹見泉石記念館、文学館がいずれも至近距離にあります。文学館は、お堀のはじまる所を右に折れるとすぐに左側にあります。
 

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文学館内展示

古河文学館は、平成10年10月、茨城県内初の文学館として開館しました。歴史小説の第一人者、永井路子をはじめ古河ゆかりの作家とその作品を中心に、数々の貴重な資料を展示しています。
 古河ゆかりの作家として常設展では、小林久三、佐江衆一、粒来哲蔵、粕谷栄市、沖ななも、山本十四尾、逸見猶吉、和田芳恵若杉鳥子、児童文学コーナーでは鷹見久太郎、金田卓也、一色悦子等の作品等、関連資料を展示しています。

また、蓄音器によるSPレコードの演奏を行ったり、館主催のコンサートや朗読会の会場にもなるサロンは、美しい木組みに演出された、ゆとりとくつろぎの空間です。夜間は一般貸出もしています。

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鷹見泉石記念館

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鷹見泉石記念館

 文学館を出て、堀に沿って進むと泉石が晩年をおくった住まいである鷹見泉石記念館があります。ここは泉石の曾孫にあたる鷹見久太郎の生家でもあります。久太郎は絵雑誌「コドモノクニ」の出版元である東京社の創業者であると同時に青年時代は思水と号し、詩歌の創作などもしていたといわれています。


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古河第一小学校

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 泉石記念館から文学館の方にもどり北に進むと第一小学校があります。ここは永井路子の母校であり、粒来哲蔵は昭和27〜28年に教鞭をとっていました。


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宗願寺

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 第一小学校の敷地の切れたところを左折すると、200メートルほどで、浄土真宗の名刹宗願寺があります。和田芳恵の墓があり、「静、寂」と刻まれた墓碑があります。寂は芳恵、静は奥様のものです。読売文学賞受賞作の「接木の台」や自伝抄をこの寺で執筆しています。また樋口一葉の研究者でもあります。直木賞、日本文学大賞、川端康成文学賞、日本芸術院賞受賞等多数あります。


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河口信任旧居跡

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 宗願寺を出て右に向かうとすぐ信号機がありますが、そこを直進すると200メートルほどで獅子が崎の土塁からの道との十字路になります。右に折れ、民家に沿って道なりに左にまわると道が広くなります。右に進むとすぐ「古河城追手門跡」の表示がるのでやや斜めにそこを左に入ります。直進するとほどなく河口信任旧居跡の表示があります。今は、マンションが建っているが、信任は、古河藩の藩医であり、ここは小林久三の「むくろ草紙」の舞台となった場所でもあります。


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旅館「芳流」跡

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旅館「芳流」があった渡良瀬川沿いのホテル

 信任旧居跡を過ぎ左方向にまわりこむと、日本旅館「芳流」跡(現在はホテル)があります。中村真一郎著「感情旅行」の舞台となったところであり、草野心平、城山三郎など多くの文人」が滞在しました。屋号は「南総里見八犬伝」に由来しています。


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頼政神社

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頼政神社

 旅館芳流の敷地に隣接して小高い茂みに頼政神社があります。頼政は平家追討の兵を挙げるも宇治で自刃、この地に首を祀ったという頼政伝説があります。頼政は歌人としても有名で「原三位頼政歌集」があります。


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片町通り

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 頼政神社の階段をおり、左へ進むと片町通りに出ます。乙川優三郎著「冬の標」に奥原晴湖がモデルと思われる画家志望の藩士の娘が登場しますが、その一節に「追手先の白壁町にある屋敷から、外堀に沿って西へゆくとじきに家並みは途切れてしまい」とあります。少女が画塾に通うようすが描かれていますが、むすめ時代の晴湖もこの辺りを歩いたのでしょうか。


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渡良瀬堤防

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 片町通りから渡良瀬堤防上に出ます。三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つです。古河城芳流閣上の決闘は、前半部のクライマックスとして有名だが、古河城の櫓をモデルにしたのではないかといわれています。
 眼前に広がる本州最大といわれる約33kuの渡良瀬遊水地は、日本の公害の原点といわれる足尾鉱毒事件によって出現しました。数々の文学作品の舞台ともなっています。江戸川乱歩賞受賞作、小林久三「暗黒告知」伊藤野枝「転機」荒畑寒村「谷中滅亡史」永井路子「わが町わが旅」などです。
 また堤防上には、足尾鉱毒事件に生涯を捧げた「田中正造遺徳之賛碑」があり、明治天皇への直訴状が刻まれています。

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 また堤防上には、足尾鉱毒事件に生涯を捧げた「田中正造遺徳之賛碑」があり、明治天皇への直訴状が刻まれています。


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万葉歌碑

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 雀神社の境内を上がった堤防上にあります。昭和60年3月14日除幕、生井子華揮毫によります。

麻久良我の許我の渡りのからかじの音高しも寝なへ児ゆえに

万葉集巻14、二首あるうちの一首だが、古河の地名がはじめて文学の上にあらわされたとされています。


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下宮八幡

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 雀神社の鳥居をでたら参宮道路をまっすぐ市内に向かい、最初の十字路を左折すると約100メートル、T字路の北東角にあります。田中正造、逸見猶吉ゆかりの谷中村から移築しました。


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正定寺

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正定寺

 下宮八幡から再び参宮道路に出たら次の十字路を右折します。最初の十字路を左折すると、T字路になりますがそこは右折し、すぐ道なりに左方向に進み最初の道を右折すると右側に正定寺山門があります。
 古河藩でも最も関わりの深い土井家の菩提寺あり、3代将軍家光の側室「お楽の方」の供養塔があります。お楽の方は4代将軍家綱の生母となるが、そのときの様子が吉屋信子の「徳川の夫人たち」に描かれています。


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永井路子旧宅

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 正定寺赤門を出ると江戸町通りになります。左方向に信号機がありますが、直進すると約200メートルほどの右側にあります。永井路子が3歳から24歳までを過ごした建物の一部が修復公開されています。永井文学の原点ともいえる場所です。

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若杉鳥子文学碑

 もと来た道を少し戻り最初のT字路を右に入ると先程の正定寺山門前の道になります。突き当りを右折すると、江戸時代がしのばれる面影を残す街並みになります。古河を代表する景観といえるでしょう。300メートル位で横町柳通りになります。
 若杉鳥子は、大正から昭和にかけて活躍した古河出身のプロレタリア作家です。古河の豪商と神田の貸席の女中との間に生まれ、すぐ古河の置屋、若杉はなの養女となります。その養家の近くの横山町柳通りに、「帰郷」の一節を刻んだ文学碑があります。
 横山町柳通りから曲の手通りに出て古河駅に向かいます。最初の信号を右折し、古河駅の表示にしたがい左折すると古河駅に戻ることができます。文学碑のあるあたりから古河駅までは約700メートルです。


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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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