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古河駅西口

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観光案内所

 JR古河駅改札口を出てすぐ左手に観光案内所があるので立ち寄ってみましょう。各種パンフレットが用意されており、観光ガイドが午前10時から(土・日・祝祭日は午前9時から)午後3時まで詰めているので、いろいろ情報が入手できます。
 改札を出たら左方向に進むと西口に出ます。国土交通省の大きな河川情報板が目に入り、その下に万葉歌碑があります。

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万葉歌碑

逢わずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ舟に君も逢わぬかも

 万葉集巻十四の相聞歌に、古河の地名と関係あると思われる歌が2首詠まれていますが、その内の1首です。あと1首は渡良瀬川堤防上にあります。
 この歌から当時の古河は、河川交通の盛んなところで、人々の往来が多く栄えていたことが読み取れます。


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日光街道から肴町通りへ

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高札場跡

 西口を出て停車場通りを直進すると、約400メートルで旧日光街道に出ます。日光街道は、東照宮が日光に造営された元和3年(1617)以降、日光社参と奥州への道として整備されました。日本橋を起点とした五街道の一つで日本の幹線道路、幕府の交通網とし整備されました。(日光街道は21宿、古河は江戸から数えて8番目の宿場です。)ここが市内の目抜き通りで、かつての城下の中心部でした。左折するとすぐ左側に高札場跡があります。
 高札場は札場ともいわれ、幕府の禁令を掲げるところで、町役人によって厳重に管理されていました。
 

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本陣跡

本陣は高札場の向かい側に、本陣跡の石柱の表示があります。大名の宿場所で格式が要求されたので、庶民の家では造ることができない門、玄関、書院を設けることが許されました。
 高札場跡の十字路を館林方面に右折すると、篆刻美術館、永井路子旧宅に行くことができますが、ここは直進して次の信号を右折して肴町通りにでます。



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肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)

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古河藩使者取次所

 肴町、米銀のところに大名の使者を応接する役所がありました。役人は客を迎えるために馳り廻るので、ここの役人を御馳走番所ともいいました。肴町というのは職業名の町名で、川魚を扱う御用商人がいたことによります。肴町通りは、古河城への食糧調達の道でもありました。

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坂長の店蔵

坂長の店蔵は、古河城の文庫蔵を明治初期に移築したもので、登録文化財です。



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福法寺山門

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乾門

 肴町に入って最初の十字路を左折すると、すぐ右側に福法寺があります。福法寺の山門は旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあったとされる門で乾門といわれ、市内に現存する唯一の城内遺構の門です。明治7年、城取り壊しのとき檀家の一人が払い下げを受け、翌年寺に寄進、移築したといわれています。



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古河城出城跡、歴史博物館周辺

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歴史博物館

 福法寺を過ぎ直進すると、お茶屋口からの道に突きあたります。この道は、将軍が日光社参の折、古河城に宿泊するため、日光街道御茶屋口から城に向かう道筋でした。
 右折して200メートルほど進めば歴史博物館周辺にでます。ここは古河城出城跡で土塁、お堀など当時がしのばれ、古河城跡が痕跡をとどめない今、貴重なエリアです。歴史博物館、鷹見泉石記念館、文学館と至近距離にありますが、まずは鷹見泉石記念館を透り過ぎ、歴史博物館に入館しましょう。ここで3館セット券(600円)を購入するとよいでしょう。歴史博物館では、古代から近代に至る古河の歴史と文化の概観を知ることができます。

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鷹見泉石記念館前の通り

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鷹見泉石記念館

鷹見泉石記念館は、歴史博物館の別館として開館されました。もともとは古河藩の武家屋敷でしたが、鷹見泉石が晩年を送った住まいで古河に現存する唯一の武家屋敷です。四季おりおりのたたずまいが美しい。
 鷹見泉石記念館を出てお堀に沿って道なりに進むと、お堀がきれたところに四阿屋があります。将軍の行列は、これより少し北進し文学館北側、第一小学校校庭がかつての堀跡で、その真中にあった道を西に進み古河城御成門に向かいます。文字通り将軍お成りに使用します。将軍の日光社参は、1泊目岩槻、2泊目古河、3泊目宇都宮、翌日日光到着です。

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文学館

四阿屋を左に、なだらかな坂を下ると文学館があります。文学館は展示室だけでなく、SPレコードの鑑賞などができるのでホッとできます。2階はイタリアンレストランになっていて、お茶と食事が楽しめます。



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篆刻美術館から永井路子旧宅方面へ

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 文学館を出て左方向へ進むと、すぐに雪華模様がちりばめられた歩道になります。土井家11代藩主利位は、日本初の雪の結晶の研究者として知られ、「雪華図説」を刊行しました。上下巻合わせて183種収められています。この歩道は3種の模様を組み合わせたものといいます。雪華の歩道は第一小学校の敷地に沿って続き、敷地のはずれ、エンジュの木のところまで続きます。
 歴史博物館、鷹見泉石記念館、文学館を経てこのエンジュの木に至る道は周囲の景観もよく、散策するのに絶好のコースです。
 

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古河城追手(大手)門

標識にしたがいエンジュの木のところを左折し、小学校の正門を過ぎたらすぐに右の道に入ります。この道はウォーキングトレール事業で整備されたとか、歩きやすいとご好評いただいている道です。ほどなく江戸町通りに出ます。江戸町のいわれは、古河城追手(大手)門前から石町までの、一番賑わいを呈した区画で、江戸を思わせるという意味で江戸町と称したといいます。

左角が、市民のためのギャラリー街角美術館、右角一軒おいて隣が篆刻美術館です。篆刻専門の美術館は日本でただひとつなのでのぞいてみましょう。
 篆刻美術館を出て左へ、信号機を過ぎるとすぐ左側に永井路子旧宅があります。歴史小説の第一人者永井路子先生が、幼少時代から青春時代を過ごしたという建物の一部が修復公開されています。時にお茶の接待などもしてくれます。


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篆刻美術館

平成3年に日本で始めての篆刻専門の美術館として開館し、旧城下町の石町通りに面しています。
館内には、古河出身の故生井子華の遺作をはじめ、小林斗_・梅舒適・関正人ら日本を代表する現代作家および、日本や中国の歴史的作家の作品を常時展示しています。

詳しくはこちら

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永井路子旧宅

直木賞作家、永井路子さんの旧宅を修復し一般公開しています。
修復された旧宅には、永井さんの幼少期から青春時代の写真のほか、永井さんの経歴を紹介するパネルや作品などがあります。

詳しくはこちら



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正定寺と隆岩寺

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正定寺

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正定寺土井家墓所

 ここから左方向へ、次の信号機を渡ると右側に正定寺参道があります。古河は寺の多い町で、市内にざっと26ヶ寺ほどあるが正定寺は土井家の菩薩寺であり、古河を代表する寺院の一つです。

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正定寺赤門


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正定寺黒門


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隆岩寺

赤門から入り境内を一巡したら黒門から出ます。あい向かいが福寿稲荷、その隣が隆岩寺です。福寿稲荷に手を合わせたら、一旦道路に出てから隆岩寺の山門に入ります。隆岩寺も正定寺とおなじく大名開基の寺です。春には緋寒桜が美しいです。

隆岩寺について詳しくはこちら



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杉並通り

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杉並通り

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隆岩寺北側入り口

 隆岩寺本堂と呑龍堂の間の路地を抜けると、杉並通りに出ます。この通りは、赤レンガと雪華をイメージして造られた道で、武家屋敷のおもかげを残す街並みと調和してなかなかの景観をかもしだしています。テレビや雑誌、ポスター等にもしばしば登場し古河を代表する景観のひとつでもあります。



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日光街道古河宿道標

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日光街道古河宿道標

現在道路拡幅工事のため一時的に撤去されています。(2013年3月頃の再設置を予定しています。)

 まち歩きも終わりに近く、いよいよ古河駅に向かいます。杉並通りを道なりに進むと、日光街道曲の手通りに出ます。道路の右側に「日光街道古河宿道標」があります。石造りで常夜灯型式、左日光道、右筑波道とあります。文字は幕末の書家小山露外、悟岡、遜堂という父、子、孫三人の揮毫によるものです。
 城下町は道が直角に曲がるようにつくられています。それに相当するところが二丁目曲の手、日光街道と、筑波道の分かれるところ、二丁目交差点付近に置かれていましたが、道路開通にともない現在地に移されました。日光街道は曲の手通りから横町を通って城下を出ましたが、現在の道路が開通したのは昭和13年です。
 二丁目交差点を右折し、次の信号を左折すると、古河駅に着きます。



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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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