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アド街ック天国 古河のベスト30!

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古河のゆるキャラ ゆきとのくん

2011年11月26日、1つの街にしぼってその特色を紹介する番組「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)にて古河のベスト30が放送されました。ご覧いただいた皆様大変ありがとうございました。

番組で紹介された30位はもちろん、他にも古河が誇る名所・名物・偉人・文化などがまだまだございます。この機会にぜひ、関東ド・マンナカの古河にお越しください!






こちらから放映された古河市のベスト30の一覧をダウンロードできます。
*PDFファイルのダウンロードは下のボタンをクリックしてください
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古河のベスト30をGoogleMapで探すことが出来ます。
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名称入り全体地図のダウンロードはこちらです。

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名称入り西口の詳細地図のダウンロードはこちらです。

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古河提灯竿もみまつり


平成23年12月3日(土曜日) 午後4時〜9時
古河駅西口おまつり特設会場
関東の奇祭として知られる古河提灯竿もみまつりは、先端に提灯を付けた約18メートルの竹竿を20人ほどの若者で支え、互いの提灯を消そうと激しくもみ合う荒々しい祭りです。
http://www.kogakanko.jp/chochin/index.php


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古河宿


ホテル山水
〒306-0033 茨城県古河市中央町1丁目8−32
0280-22-0226
http://www.hotelsansui.co.jp/



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古河公方公園(古河総合公園)


〒306-0041 茨城県古河市鴻巣399
0280-47-1129
http://www.koga-kousya.or.jp/koga-park/


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鮒甘露煮


ぬた屋
〒306-0033 茨城県古河市中央町3丁目8−5
0280-22-4127
http://www.nutaya.co.jp/


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蔵元


大橋醤油店
諸川2564 TEL0280-76-0002

小沢糀店
横山町2-4-6 TEL0280-22-0932
http://www10.plala.or.jp/o-miso/

青木酒造
本町2-15-11 TEL0280-32-5678

http://www.aokishuzou.com/


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古河銘菓


はつせ
横山町1-14-12 TEL0280-22-1530
http://www.koga-hatsuse.co.jp/

御家寳屋
横山町3-2-24 TEL0280-22-0578



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ミュージアム巡り


篆刻美術館
中央町2-4-18 TEL0280-22-5611
http://www.kogakanko.jp/top.php?ID=15&cID=10

文学館
古河文学館 中央町3-10-21  0280-21-1129
http://www.kogakanko.jp/top.php?ID=178&cID=10

歴史博物館
中央町3-10-56 TEL0280-22-5211
http://www.kogakanko.jp/top.php?ID=12&cID=10

街角美術館
中央町2-6-60 TEL0280-22-5911
http://www.kogakanko.jp/top.php?ID=16&cID=10



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和田家


中央町1-5-26 TEL0280-22-0128
http://www.rcctv.jp/wadaya/



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Made in KOGA


日本卓球
山崎製パン
ヤマザキナビスコ
ギンビス
ハリオグラス



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ばんどう太郎



駒羽根412-1 TEL0280-93-0180
http://www.bandotaro.co.jp



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こだわりの提灯竿


鍛冶町自治会


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トモヱ乳業


下辺見1955 TEL0280-32-1111
http://www.tomoemilk.jp/



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丘里


関戸1625-6 TEL0280-98-3138
http://www.okasato.co.jp/



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森ファーム


上片田420 TEL0280-77-0011
http://www.morifarm.co.jp/



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餃子の丸満


本町1-2-39 TEL0280-32-3615
http://www.maruman6868.com/



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昭月堂&美よしの


昭月堂
東2-12-20 TEL0280-32-1733

美よしの
本町3-2-17 TEL0280-32-0748
http://miyoshino.info/?page_id=10



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茨城レジャーランド&下総ゴールドレーン


茨城レジャーランド
西牛谷610-1 TEL0280-97-2070
http://www.g-sen.net/lb_shop.php/4571/

下総ゴールドレーン
茨城県西牛谷546 TEL0280-98-1112
http://smf.goldlane.jp/



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肴町米銀


中央町3-1-43 TEL0280-22-0384
http://www.komegin.co.jp/



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古河ゴルフリンクス


西町10-1 TEL0280-22-4000
http://www.koganet.ne.jp/~links/



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渡良瀬川


万葉集歌碑
古河公方
古河の歴史



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ネーブルパーク


駒羽根620 TEL0280-92-7300
http://www.koga-kousya.or.jp/navelpark/



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麺堂 稲葉


鴻巣2-2 岩崎ビル1F TEL0280-48-6676


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清風 和(なごみ)


横山町1-4-9 TEL0280-22-0125
http://seifu-nagomi.jimdo.com/



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杉本納豆


横山町1-8-3 TEL0280-22-6382


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UP'S(アップス)


本町1-10-12 エースビル2F TEL0280-32-4713
http://www.ups-jazz.com/



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神輿


本町1-2-23 TEL0280-32-1735


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カブトムRX-03


高橋機械 下辺見2849 TEL0280-32-8565
http://www.justmystage.com/home/kabutom/



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三和新池


尾崎568 TEL0280-76-4440
元ヤクルトスワローズ松岡弘さん支配人



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観光自転車コガッツ


本町4-1-1花桃館内 TEL0280-31-7611
http://www.e-koga.info/news/index.php?ID=210

鷹見泉石記念館 長谷観音 古河散策



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関東ド・マンナカ宣言


http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/06renewal/do_mannaka/top.htm



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長谷観音

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長谷観音

■駅から
約1.5Km 徒歩19分
■所在地
長谷町5-1
TEL0280-22-2366

古河城の鬼門除けとして明応2年(1493年)、古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺より勧請したもので、累代古河城主が祈願をこめたところとされています。背丈2メートルあまりの十一面観世音菩薩立像が安置されています。日本三大長谷のひとつです。

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雀神社

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雀神社

■駅から
約1.7Km 徒歩21分
■所在地
宮前町4-52
TEL0280-22-0477

市の西北端、渡良瀬遊水地のほとりにあります。約1,100年前に出雲大社から勧請したものと言われ、古河公方(足利成氏をはじめ)歴代の古河城主が厚く尊崇し、五穀豊穣、家内安全を祈願してきました。夏の祭礼にはいまも「ささら獅子舞」が奉納されています。


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正定寺(しょうじょうじ)

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正定寺

■駅から
約0.9Km 徒歩11分
■所在地
大手町7-1
TEL0280-22-1273

江戸時代初期、家康・秀忠・家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所です。また、四代将軍家綱の母・お楽の方の墓、芭蕉塚など歴史的文化財に富んでいます。


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隆岩寺

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隆岩寺

■駅から
約1Km 徒歩13分
■所在地
中央町1-7-39
TEL0280-22-2001


徳川時代最初の古河城主小笠原秀政が、岡崎三郎信康の菩提のために開基した寺です。信康は家康公が18歳の時、正室・瀬名姫(築山御前)との間に生まれた徳川家康の嫡男です。天正 7年(1579)織田信長の命により、母の築山御前とともに命を奪われました。信康の長女の登久姫(峯高院)は小笠原秀政に嫁いでおり、境内には信康の供養塔があります。


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杉並通り(旧武家屋敷)

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旧武家屋敷

■駅から
約0.8Km 徒歩10分
■所在地
横山町1丁目7



篆刻美術館を出て、ちょっと西に行き、狭い道を北に歩いて行くと、江戸時代が偲ばれる風格ある旧武家屋敷の土塀の続く通りに出ます。


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日光道中古河宿道標

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日光道中古河宿道標

■駅から
約0.6Km 徒歩8分
■所在地
中央町1丁目10

旧武家屋敷から通りを東に歩いて行くと、左に旧よこまち柳通り(花街のあった所)があり、右側に文久元年建立の「日光道中道標」が立っています。常夜灯形式の道標として貴重なものです。


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関東有数の城郭 古河城

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 古河城の創設時期は定かではないが、鎌倉公方、足利成氏が鎌倉から古河に座を移した15世紀中期以降、史料のなかに古河城という表記がみえることから、この時期に従来の陣から城としての整備がおこなわれたとみられています。
 その後、小田原北条氏が滅亡し、徳川家康の関東入部にともない古河城には徳川の譜代大名小笠原氏が入部し城の再建に勤めました。江戸期を通して11家が12回にわたって入れ替わり在城しています。江戸初期の歴代城主は数万石でしたが、奥平家の11万石・永井家の7万石を経て城下も拡張整備され、さらに土井利勝の16万石時代には本丸に御三階櫓が建造され城下の形が整ったとみられます。

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芳流閣の決闘 舞台は古河城

 皆さん良くご存じの「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「梯」の八つの珠が飛んでいき、やがてそれぞれの珠を持つ8犬士、犬塚信乃、犬川荘助、犬山道節、犬飼現八、犬田小文吾、犬江親兵衛、犬坂毛野、犬村大角の活躍を描く物語。
 この「南総里見八犬伝」の有名なシーン、「芳流閣の決闘」の舞台は古河城がモデルと言われています。
 芳流閣の決闘は、八犬士の一人、犬塚信乃が古河公方の成氏に名刀村雨丸を返しにくるシーンで始まります。しかし村雨丸はすりかえられ窮地に陥った犬塚信乃は、芳流閣と称する城の大屋根へと追いつめらます。
 そこへ現れた犬飼現八と壮絶な決闘をし城下の利根川へ落ちた二人は、互いの「信」「孝」の珠を見せ合い、宿縁を悟るといいます。
 八犬伝に登場する芳流閣は「利根川に沿う遠見の三層楼」とあります。成氏の城内に芳流閣という建物が存在していたとはみられていませんが、江戸時代の作者滝沢馬琴が古河城の櫓をモデルにしたのではないかといわれています。


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歴史探訪

東国一円の重要拠点だった古河
古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。足利氏とのつながりも深く、中世東国社会の政治文化において重要な位置を占めてきた古河公方の拠点として知られています。

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徳源院跡 臨済宗で鎌倉円覚寺の末寺で古河公方が開其した三ヶ院のひとつ

古河公方と称した足利成氏
古河公方の起こりは、1338年京都に幕府を開いた将軍足利尊氏が関東地方を治めるために子の基氏を鎌倉府の長官である鎌倉公方として派遣しましたが、その後、鎌倉公方4代持氏が京都の将軍家と対立、1439年6代将軍義教と一戦を交え、その結果、鎌倉公方は破れ、持氏は自害させられました。その後、生き残った持氏の子成氏が許されて鎌倉公方に就任しましたが、再び幕府に反旗を翻し、1445年鎌倉から古河の地に座を移したことによります。
 爾来120年余りにわたって古河公方と称し、東国一円の重要な位置を占めてきましたが、現在も公方ゆかりの寺院や史跡が残っており、特に古河公方足利氏の古河城の別館であった「公方館跡」や古河公方開基の「徳源院跡」一帯は、「古河公方公園(古河総合公園)」として、自然や史跡探訪の地となっており、市民に親しまれています。


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歴史と伝統の町

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鎌倉時代から120年余にわたる古河公方時代を経て、江戸時代には徳川譜代大名の城下町であった古河は、日光奥州街道の要地として栄えました。
現在、残念ながらお城は残っていません。しかし、その城外にある歴史博物館や数多く残された史跡が歴史を語ってくれます。
それらの史跡見学などを無料で案内してくれる、ボランタリーガイドさんと一緒に、ゆっくりと歩いてまわるコースも大講評となり、多くの方々が古河を訪れるようになってまいりました。


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古河の年表

旧石器〜縄文時代

近くまで東京湾が入り込んでいた、古代の古河。人々は、利根川、渡良瀬川、思川の3つの川の近くに集まって暮らしていました。2万年前の先土器時代の遺物や縄文遺跡などがそれらを裏付けます。


奈良時代

万葉集では「麻久良我の許我の渡りのから楫の音高しもな寝なへ児ゆゑに」(巻十四)とあり、古河付近のどこかに船渡しがあったことを想像させてくれます。


平安時代

「こが」という地名は、平安時代末期あたりからその名を文献で見つけることができます。吾妻鏡には、源頼朝に背いた常陸の志田義広の軍勢を下河辺氏が「古我・高野等渡」を固めて討ち止めた、とあります。


鎌倉時代

源頼朝の御家人・下河辺行平(藤原秀郷の子孫)が古河に始めて城を築いたと伝わります。


南北朝時代

南北朝時代から「古河」という文字で表記されるようになりました。


室町時代

当初鎌倉にあった関東公方が、室町時代の康正元年(1455年)、足利成氏の代に室町幕府と対抗し下総古河に移り、古河公方(こがくぼう)として知られるようになりました。以来、5代にわたり130年余りを統治しました。


江戸時代

徳川幕府により譜代大名11家がめまぐるしく交替し、古河城は徳川将軍が日光東照宮参拝の折の宿泊場所にもなりました。また、奥羽街道・日光街道の宿場町としても発展しました。現在も市内各所に武家屋敷や商家の町割、由緒ある神社仏閣があって、当初の風格がしのばれます。


  

明治・大正時代

製糸業が興り、昭和前半まで古河の代表的な産業として続き、「糸の町」と呼ばれるほど活況を呈しました。古河城は、明治・大正年間の渡良瀬川改修工事のため取り壊されてしまいました。


昭和時代

東京へ60kmという交通の便利性もあり、茨城県西部、栃木県南部、埼玉県北部を商圏とした商業都市として、現在に至るまで発展しています。昭和38年(1963年)に首都圏市街地域開発地域の指定をうけ、調和のとれた街づくりが着々と進められています。


 




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頼政神社

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頼政神社

■駅から
約1.3Km 徒歩16分
■所在地
錦町9-5



錦町(観音寺町)
その名が表す通り、源三位頼政が祭られています。治承4年(1180年)宇治で平家との戦いに敗れ自刃した源頼政の首を従者がたずさえて逃れ、古河に葬ったものと言い伝えられています。もともと古河城内頼政郭にありましたが、渡良瀬川改修工事のため、現在地・旧古河城最北端の土塁の上に移されました。


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神宮寺

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神宮寺

■駅から
約0.6Km 徒歩8分
■所在地
横山町1-1-11
TEL0280-22-1712

文安3年(1446年)に良宥上人が鎌倉で開いた寺で、当時の鎌倉公方足利成氏の古河入りに伴い、古河に移りました。室町時代の作である十一面観世音菩薩坐像が有名です。


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永井寺(えいせいじ)

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永井寺

■駅から
約1.4Km 徒歩18分
■所在地
西町9-33
TEL0280-22-3233

寛永3年(1626年)に、当時の古河城主・永井直勝が開基しました。直勝や幕末の書家・小山霞外の墓があります。


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正麟寺

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正麟寺

■駅から
約1.3Km 徒歩16分
■所在地
横山町3-6-49
TEL0280-23-0551

古河城主小笠原氏が開基しました。「新訳和蘭国全図」などを著し、西洋学問で豊富な成果を収めた古河藩家老・鷹見泉石の墓があります。


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雪の殿様  土井利位

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正定寺で管理されている肖像画

関連施設・史跡
正定寺 土井家歴代の墓所
■駅から
約0.9Km 徒歩11分
■所在地
大手町7-1
TEL0280-22-1273
歴史博物館 雪花図説
■駅から
約1.2Km 徒歩15分
■所在地
中央町3-10-56
TEL0280-22-561

土井利位は20年にわたり観察した雪の結晶を「雪華」と名付け、天保3年(1832)その成果86種を収録する『雪華図説』を刊行しました。同11年に刊行される『続雪華図説』と合わせ、利位によって著された日本最初の雪の自然科学書として高い評価を得ています。
 寛政元年(1789)5月、土井利徳の四男として、刈谷(現愛知県刈谷市)に誕生しました。
刈谷の土井家は、始祖利勝の次男利長にはじまる分家で、刈谷時代の利位を知る手がかりは、「部屋住」の身ゆえか、ほとんど伝わっていません。
 嫡子でなかった利位に大きな転機が訪れたのは、彼の25歳のときでした。本家にあたる古河藩主土井利厚の養子に迎えられ、このときはじめて、学問・芸術にたいする彼の資質を開花させる機会がおとずれたといえるでしょう。
 文政5年(1822)、34歳のとき、利位は、養父の死去にともない家督、古河藩8万石を襲封。以後、彼は、天保5年(1834)から同8年まで「大坂城代」を、同年「京都所司代」、翌年には「江戸城西之丸老中」と、幕府の要職を歴任しています。
 天保10年(1939)本丸老中に昇進、水野忠邦を助けて天保改革に尽力。同14年、改革の失敗から失脚した水野忠邦のあとをうけて老中首座となり、幕府財政の再建につとめました。翌年、老中を辞任した利位は、藩領を巡村、古河藩政改革をおこないました。嘉永元年(1848)、60歳で病没。

▼正定寺 土井家歴代の墓所 【大手町7-1】

▼歴史博物館【中央町3-10-56】


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蘭学者  鷹見泉石

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渡辺崋山(かざん)筆  国宝『鷹見泉石像』東京国立博物館

鷹見泉石は家老として、藩主土井利位(としつら)に仕えた古河藩士。利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮圧にあたるなど、大きな働きをしました。また、優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集にあたりました。
十郎左衛門忠常といい、泉石は引退後の名前です。
天明5年(1785)6月29日、土井氏代々の家臣、鷹見忠徳の長男として、当時、四軒町といったこの地に生まれました。
11歳より藩主土井利厚・利位の二代に仕え、ついには江戸家老に進み敏腕をふるいました。
とりわけ藩主利位の「大塩の乱」鎮定・京都所司代から老中への昇進と幕政参画など、その陰にはつねに泉石の補佐が与って大きかったのです。
 蘭学(らんがく)を志し、利位の『雪華図説(せっかずせつ)』の刊行をたすけ、晩年、自らも日本初の『新訳和蘭国全図』を出版しました。かたわら、学者・文化人と広く交わり、オランダ商館長よりヤン・ヘンドリック・ダップルの蘭名を贈られ、開明的外国通といえます。
安政5年(1858)7月16日、古河長谷の屋敷で73歳で没しました。
市内横山町の正麟寺(しょうりんじ)に眠る。

 渡辺崋山(かざん)筆の国宝『鷹見泉石像』は、よくその姿を伝えています。渡辺崋山は愛知県の小藩であった田原藩の藩士、蘭学に熱心で、泉石とは兄弟弟子でした。その崋山が画家として残した肖像画の一つが、「鷹見泉石像」です。今では崋山の代表作として、国宝に指定され、東京国立博物館に展示されています。


関連施設・史跡
鷹見泉石記念館 
■駅から
約1.2Km 徒歩15分
■所在地
中央町3-10-56
TEL0280-22-561


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鷹見泉石生誕の地碑

鷹見泉石生誕の地碑
■駅から
約0.9Km 徒歩12分
■所在地
中央町1丁目10

正麟寺 鷹見泉石の墓所
■駅から
約1.3Km 徒歩16分
■所在地
横山町3-6-49
TEL0280-23-0551

▼鷹見泉石記念館【中央町3-10-56】

▼鷹見泉石生誕の地碑【古河一小北側】

▼正麟寺 鷹見泉石の墓所【横山町3-6-49】


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万葉歌碑

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万葉歌碑

■駅から
西口駅前
■所在地
本町1丁目

駅西口を出ると、歩道右側に大きな自然石が、ドッシリと据えられています。「万葉の歌碑」です。万葉集巻十四、東歌の中にあるこの地を詠んだ歌二首の一つです。古河の里が、古くから川ぞいを中心に開けた抒情豊かな文化の地であることを示しています。書の軍毫は書家故大久保翠洞氏によります。因みに、もう一首の歌碑は、雀神社わきの渡良瀬提の上に建っており、その書の軍毫は篆刻家故生井子華氏によるものです。


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本陣跡

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■駅から
約0.3Km 徒歩4分
■所在地
中央町1丁目2-37付近

駅前通りを西に歩いて行くと、旧日光街道に突き当たります。常陽銀行を右に見て、正面に商店街ジョイパティオがあり左角に足利銀行があります。ジョイパティオの入口に赤い電話ボックスがあり、その陰にひっそりと「本陣跡」の石碑が立っています。ここに、昔諸大名が参勤交代や日光参詣等の途中、古河に泊まる時に宿とした建物があった所です。この辺りは、日光街道より古河城への入り口の地点で、城下町古河の重要な辻であり、旅人の往来のはげしい一番賑わった所でした。


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古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として、江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。
古河公方公園(古河総合公園)では、約1500本の桃の花が美しく咲きそろう「桃まつり」が開催されます。
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