日光街道から肴町通りへ
西口を出て停車場通りを直進すると、約400メートルで旧日光街道に出ます。
日光街道は、東照宮が日光に造営された元和3年(1617)以降、日光社参と奥州への道として整備されました。日本橋を起点とした五街道の一つで日本の幹線道路、幕府の交通網とし整備されました。(日光街道は21宿、古河は江戸から数えて8番目の宿場です。)
ここが市内の目抜き通りで、かつての城下の中心部でした。左折するとすぐ左側に高札場跡があります。
高札場は札場ともいわれ、幕府の禁令を掲げるところで、町役人によって厳重に管理されていました。
本陣は高札場の向かい側に、本陣跡の石柱の表示があります。
大名の宿場所で格式が要求されたので、庶民の家では造ることができない門、玄関、書院を設けることが許されました。
高札場跡の十字路を館林方面に右折すると、篆刻美術館、永井路子旧宅に行くことができますが、ここは直進して次の信号を右折して肴町通りにでます。