こがナビ 古河市観光協会

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古河城追手門跡

古河城追手門跡

城の大手(正面)にあたり、敵の正面に攻めかかる軍政(追手)を配置することから、城の正門(表門)のことを大手門とか追手門と呼んでいました。
 当該地の北に位置する東西方面の大通りを境に、北側は武家屋敷となっており(片町)、南側は城の堀と五間(約9メートル)ほどの高さの土塁が構築されており、追手門に入るには堀にかかる橋を渡りました。堀の水深は二尺(約60センチ)、堀幅は七間(約13メートル)とも一六間(約30メートル)ともいわれています。
 門は第一・第二門からなり、その間に枡形(正方形)の空間をもうけた形態でした。まず切妻屋根に、おそらく竪桟張りであったかと思われる扉をもった高麗門(第一の門)を入ると、そこは土塁で囲まれた枡形の空間で、右手にいかにも城門らしく豪壮な造りの第二門がありました。その第二の門は櫓門と呼ばれるもので、土塁と土塁の間に渡櫓を渡して、下を門とし上を櫓(矢倉)とする形式でありました。
 門の創建は、慶長年間(1596~1615)の松平(戸田)康長のときであったといわれています。