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寺院・神社の歴史スポットを表示
![鮭延寺本堂](https://i1.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/926890a7873edf7b9b1bfe6eba96b6af-e1522026816449.jpg?fit=300%2C207&ssl=1)
鮭延寺 智徳・仁義を知る武将 鮭延(さけのぶ)秀綱
昔の古河藩領の大提に鮭延寺という寺があって、そこには、鮭延秀綱という武将の墓があります。 鮭延氏は、出羽山形の城主最上家七十万石の家老で、1万5千石、智徳・仁義を知る武将で、最上家の内紛により、国を離れ、幕命によって、秀
![熊沢蕃山の墓](https://www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/a06b505def019ad0964ba306d3ee6870-300x244.bmp)
陽明学者 熊沢蕃山の墓
■駅から 約3Km 徒歩40分 ■所在地 古河市大堤1030-1 ■お問い合わせ先 0280-32-6905 鮭延寺本堂 熊沢蕃山は江戸時代前期(1619~91)に活躍した陽明学者。名を伯継、字を了介といい、息游軒(そく
![徳源院跡](https://i2.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/1315630313.jpg?fit=300%2C181&ssl=1)
足利義氏(よしうじ)とその子氏女(うじひめ)
■駅から約3Km 徒歩40分■所在地古河公方公園(古河総合公園)鴻巣399-1■お問い合わせ先0280-47-1129 時代も干余曲折を経て、戦国の世に入り、関東も戦乱に明け暮れ、5代義氏の代になると、後盾となっていた北
![土井利勝肖像画](https://i0.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/Doi_Toshikatu-2.jpg?fit=300%2C229&ssl=1)
徳川三百年の智臣 土井利勝
家康が江戸幕府を開き、天下の政治をとるようになると、古河は奥州街道筋と水路の要地となり、北の守りとして重要な位置を占めるようになりました。そのため、古河藩主には有力な譜代大名が配置されました。幕末までに11家 12回の交
![土井利勝肖像画](https://i0.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/Doi_Toshikatu-2.jpg?fit=300%2C229&ssl=1)
古河藩歴代城主ゆかりの地
古河は1590年以降明治維新までの約280年間で11家28名の大名が存在した城下町です。 お城は明治時代の渡良瀬川改修工事で主要部分全てを取り壊されて土手築堤の土にされましたので見る影もありませんが、古河市内には各藩主が