こがナビ 古河市観光協会

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古河提灯竿もみ祭り 発祥の地の石碑
史跡

若杉鳥子文学碑

もと来た道を少し戻り最初のT字路を右に入ると先程の正定寺山門前の道になります。突き当りを右折すると、江戸時代がしのばれる面影を残す街並みになります。古河を代表する景観といえるでしょう。 300メートル位で横町柳通りになり

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肴町 米銀店舗入り口付近に設置された、古河藩使者取次所(御馳走番所)の石碑
らくらく2時間コース

肴町、古河藩使者取次所(御馳走番所)

肴町、米銀のところに大名の使者を応接する役所がありました。役人は客を迎えるために馳り廻るので、ここの役人を御馳走番所ともいいました。肴町というのは職業名の町名で、川魚を扱う御用商人がいたことによります。肴町通りは、古河城

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肴町を坂長(西側)より見た景色
史跡

肴町

西口から停車場通りを直進すると、日光街道に突き当たります。日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、そこは直進し次の信号を右に入ると肴町になります。肴町は城下町の風情を残し、かつて酒類の販売をしていた坂長の

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光了寺
古河の偉人

義経の愛妾  静御前

源義経についての記録は多いが、愛妾“静”についての史料は甚だ乏しいのです。義経を慕って鎌倉を出て、奥州へ向かうまでの記録は見られますが、その先は全く不明です。しかし、伝承としては、古河近辺が終焉(しゅうえん)の地とされて

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福法寺山門
らくらく2時間コース

福法寺山門

肴町に入って最初の十字路を左折すると、すぐ右側に福法寺があります。福法寺の山門は旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあったとされる門で乾門といわれ、市内に現存する唯一の城内遺構の門です。 明治7年、城取り壊しのとき檀家の一人

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神宮寺本堂を参道から
寺神社

神宮寺

■駅から 約0.6Km 徒歩8分 ■所在地 古河市横山町1-1-11 ■お問い合わせ先0280-22-1712 文安3年(1446年)に良宥上人が鎌倉で開いた寺で、当時の鎌倉公方足利成氏の古河入りに伴い、古河に移りました

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石造宝塔
史跡

石造宝塔

■所在地古河市関戸906-1 ■郵便番号 〒306-0205    総高201センチメートル、凝灰岩(ぎょうかいがん)製の石塔。笠部は本瓦葺風で、笠裏には軒や垂木(たるき)も彫り出し、木造建築を模したような造作である。銘

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田代三喜木像
一向寺

田代三喜

田代三喜(たしろさんき)は、室町・戦国時代を代表する医師である。生年は寛正6年(1465)、没年は天文13年(1544)あるいは同6年(1537)ともされ、諸説ある。甲斐の永田徳本(ながたとくほん)と並び、当時の日本にお

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土手の上より駅方面(東)に伸びる道路
史跡

片町通り

頼政神社の階段をおり、左へ進むと片町通りに出ます。 乙川優三郎著「冬の標」に奥原晴湖がモデルと思われる画家志望の藩士の娘が登場しますが、その一節に 「追手先の白壁町にある屋敷から、外堀に沿って西へゆくとじきに家並みは途切

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源頼政肖像画
古河の偉人

源頼政

天皇は、弓の達人である源頼政に鵺という怪物退治を命じ、見事とどめを刺した頼政は、褒美に獅子王という刀を貰賜したと平家物語などに述べられています。  平清盛から信頼され、晩年には武士として破格の従三位に上り詰めましたが、後

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土手の上から見た新三国橋
ゆったり3時間コース

渡良瀬遊水池遠望

広大な自然が広がる渡良瀬遊水池では、富士、浅間、赤城、白根、男体、大真名子、女峰などの山々が一望でき時には榛名、妙義も見られる絶景ポイントです 三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。 古河城は曲亭馬琴「南総

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史跡

渡良瀬堤防

片町通りから渡良瀬堤防上に出ます。三国橋から南方向の堤防上に古河城跡の表示があります。古河城は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」の舞台の一つです。古河城芳流閣上の決闘は、前半部のクライマックスとして有名だが、古河城の櫓をモデルに

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アパートの敷地道沿いに設置された河口信任旧居跡の説明プレート
古河の偉人

河口信任旧居跡

宗願寺を出て右に向かうとすぐ信号機がありますが、そこを直進すると200メートルほどで獅子が崎の土塁からの道との十字路になります。右に折れ、民家に沿って道なりに左にまわると道が広くなります。右に進むとすぐ「古河城追手門跡」

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妙光寺

永光寺

■所在地 古河市尾崎954 ■お問い合わせ先 TEL:0280-76-0267 ■郵便番号 〒306-0101 真言宗豊山派。 無善和尚が承和十年(843)に開山。 永光寺は「花の寺」としても知られており、4月から5月ご

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永仙院跡

永仙院跡

永仙院(ようぜんいん)は、茨城県古河市桜町(長谷村)にあった臨済宗の寺院。鎌倉円覚寺の末寺。明治初期に廃寺となり、現在は跡地が文化財・史跡として保存されている。山号を金蔵山、院号を永仙院という。表記は「永僊院」が正字だが

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